トンネル
小さかったトンネル・・・
2017.1.28.
私の住んでいた村にはトロッコ電車が走る小さな線路が一本通っていた。街まで1時間ぐらいかかったのだろうか。子供だった私には時間の感覚が定かではない。高台にあった駅舎は炭鉱の事務所も兼ねていた。私たちは石炭を運ぶ合間に乗せてもらっている。
さて、その駅舎を出て間もなくトンネルに入る。真っ暗な小さなトンネルはいつまでも続いているような気がしていた。ある時、トンネルのそばでトロッコ電車が来るのを見たくて待っていた。遠い電車の音を早く聞くためにレールに耳をつけて静かにしている。小さくゴーッという音がレールに伝わって聞こえて来る。しばらくするとトンネルの奥の方に微かに明かりが見えてきた。ワクワクしながら、線路から離れて待っている私たち横を、トロッコ電車はゴーッと通り過ぎていった。
石造りのトンネル・・・
中央線の梁川と鳥沢の中間に今では珍しい石造が残るトンネルがある。国道20号線(甲州街道)はそれと並行して走っている。通るたびに気になっていたのだが、なかなか写真を撮る機会がなかった。運が良ければトンネルから電車が出て来るのが見られる。昔と同じようにそんな時はワクワクしながら待っている。
天狗岳 八ヶ岳
霧の中に天狗を見た?・・・
2015.10.17.
風の強い稜線付近に、石を乗せた山小屋・根石山荘の姿に心を惹かれ取材を兼ねて天狗岳に登った。小屋は後ろから見ることができない場所に建っている。それを解決してくれるであろう西天狗岳からの展望に期待して歩き始めた。
唐沢鉱泉を出たのは日の出1時間前くらいだろうか。鳥の声すらまだ聞こえてこない静かな山は暗くランプの明かりだけを頼りに歩き始める。暗い中を歩いていると、心のどこかで獣(熊)のことを気にしている自分がいる。ちょっと咳払いをしたり、独り言を言ったりしてみる。もちろんそんな気配はない。
空が明るくなって、心も解放された気分になる。静かな登山道は山腹を這うようにジグザグにつけられ一気に稜線まで登ってきた。やっと日の出に間に合ったが、それと同時に北側から霧が押し寄せてきた。稜線上の道は第一展望台・第二展望台と行くのだが、茅野側が少し見え隠れするだけで、あとは乳白色の世界を楽しんで歩いていく。負け惜しみとは言わないが山はこれでも楽しい。霧の間から普段見ることができない景色が現れることを期待しながら歩く。
第2展望台を過ぎた頃、やっと東天狗岳が見えてきた。天狗の由来は知らなかったが、シルエットの中に天狗を見てしまった。天狗岳の由来など考えながら歩いていたから見えるのかもしれない。鼻の長さは少し足りないようだが、その時の私には天狗の横顔に見えた。少し上を仰ぎ何か言いたげな口元をしている。孤独な姿がモノクロームの世界から浮かび上がり想像力をかきたてられる。山頂直下の天狗が見えたあたりでコケモモを少しだけいただいた。
今日の目的の東天狗岳の展望は、風とともにやってくる霧が舞台の幕のように下がり残念ながら根石岳山荘は微かにしか見えなかった。しばらく止まっていたが寒さに震えてしまった。前方が見えないまま降り、また登り返す。いつもなら大勢の人で賑わっているはずの山頂には誰もいなかった。ときどき振り返ると霧の中に太陽が見え稜線がシルエットになって浮かび上がる。霧の中に浮かぶ岩が何かに見えるのかもしれない。
天狗岳の由来は...............
『東天狗岳は名の由来となったように赤い岩肌をむきだしにした岩峰で赤天狗と呼ばれ、西の峰は頂上までハイマツがある女性的な山で青天狗と呼ばれる。』 ・・・・ウェブサイト/信濃毎日新聞/信州山岳ガイドより・・・・・
キノコ狩り
2015.9.26.
午後になって急に思い立ち3人で近くの山へ出かける。2年ほど前に登ったとき、大きなキノコ(コウタケ)を知らずに蹴ってしまった。帰ってきてそれはコウタケだよと教えられ残念でならなかった。
今回はそのキノコを目指して行くことにする。2時間の登りで頂上に着くのだが、あちこち見回りながら登って行く。山肌は獣の通った跡が沢山付いているが猪と鹿ではないだろうか。時々歩きやすい獣道を通り小さな尾根を越えながら登って行く。稜線に出る頃には、袋の中身は山栗で少しだけ膨らんでいた。
目的のキノコは頂上の少し手前の稜線から外れた所にあった。側を通るとキノコの匂いが漂ってくる。辺りを見回すと大きな姿が沢山目に入り、採ってくださいと言っているようにさえ見える。私たちは、ナイフを使い丁寧に取り持参した袋に入れる。たちまち袋はいっぱいになり今日の目的は達成したのだ。急いで山を下りないと暗くなってしまう。夕方が迫り、追われるように山を下る時は、山登りの充実感と、収穫があったことの満足感で自然に足が速くなってしまう。
キノコや栗で帰宅してからも再び秋の山を楽しむ事が出来た。
川
2015.8.9.
車で20分ほど走ると私の大切な場所がある。車を降り10分ほどでその川に降り立つ事が出来る。この辺りの川はキャンプ場が沢山出来大勢の人が押し寄せるが、ここではほとんど人と会うことはない。川の流れる音と方々で鳴くセミの声が聞こえるだけだ。私は、時折ひとりでここに来る。
河原に腰を下ろし釣りの準備をする。ここで釣れる魚は、ハヤ・ヤマメ・ニジマスその他鮎とドジョウやカジカも生息している。はやる気持ちを落ち着ける様に河原に腰を下ろしゆっくり釣りの準備をする。水の中に立ち竿を振る。2時間ほど川を移動しながら楽しむ。今日はヤマメが一匹釣れただけでお終いにした。
河原に荷物を置き、暑い石に腰を下ろす。足は水に浸かっているのだが、暑さにたまりかねて思い切って水に飛び込む。そこは2~3メートルくらいの水深があり潜ると気持ちが良い。以前は、流れに沢山の魚が上流に向かって泳いでいたが、この頃は少なくなってしまった。子供に返ったように夢中で泳いだ。水中から見る河原には所々に月見草が咲き、その向こうに青空がまぶしい。
ぬれた体を乾かしながら、コンロに火を付ける。コンロの燃える音、湯が沸きコーヒーの香りに包まれて一時を過ごす。暑いコーヒーは冷えた体に染み渡っていくようだ。陽が西に傾き、少し赤みの架かった夏の夕暮れがもうすぐやってくる。
懐かしい雲取山
2014.4.17.
30数年ぶりの雲取山・・・
登りたくても登っていない山、再び登ろうと思っても実現できなかった山がある。毎年、今年は登ろうと思いながらずいぶん長い年月がたった。
山登りを始めたばかりの頃・・・
正月の三条の湯は多くの登山者で賑わっていた。このときも泊まり合わせた人たちと山の話を楽しんだ。そんな中で知り合うのは簡単なようだが、実際にはその場かぎりで終わってしまうのが常だ。山登りを始めた頃ひとりで登るのは心細いものだった。何か支えになってくれる人を求めていたのかもしてない。夕方になりそんな気持ちを察してか、私に話しかけてくれた人がいた。一緒に夕食を作り山の話などをし、明日一緒に山頂を踏むことを約束した。
今は山頂の景色も忘れてしまったが、道すがら山の話と生き方について学んだ様な気がする。頼もしい存在だった。
年賀状・・・
最初の頃は「どこかで会いたいですね」と書いていたのだが、かなうことは無くすでに40年近く過ぎ去ってしまった。一年の代表的な出来事をモチーフに年賀状にしたためる。何時しか、それが楽しみなっていった。毎年、年末になるとこの一年を考えながら年賀状を書く。心では来年こそ、この思い出ぶかい山へ登ろうと思いながら。
その時以来の付き合いである。
歩きながら・・・
山腹を巻くように付けられた山道を淡々と歩く。三つ葉ツツジがちょうど見頃になり暗い森に彩りを添える。今は使われなくなった廃屋と山腹の畑に、人々の暮らしを想像してみる。集落から離れた山の中、此処の生活はどのようなものだったのだろう。
下の方に集落が時々見えてくる。数軒寄り添うように建つ家は、今も昔もそれ程変わっていないような気がする。この山道も仕事の道の一つだったのかも知れない
七ツ石小屋・・・
七ツ石方面への分岐から10分足らずで小屋に着いた。こぢんまりとして昔の山小屋を感じさせどこか懐かしい。入り口を通り越し広場に出ると遠くに富士山が見える。 (このときは見えなかった)
小屋に入ると薪ストーブが中心にあり、それを囲むように腰掛けが用意され、沢山の人が座れるようにとの心遣いがなされている。右は調理が出来る様にコンロと流しが付き、左奥は寝る場所になっていた。
このとき管理をしていた人は登山者のひとりで、今日は管理人(若い人)と交代する。山小屋の事を話しながらカプチーノをご馳走になる。温かさと甘さが嬉しく、山の一夜をこんな所で過ごしてみたいなと思った。山小屋の良さは、小屋の歴史とそこに集う人の優しさなのかも知れない。
山頂へ・・・
七ツ石から雲取山の稜線はまだ春が来ていない。唐松の新緑はもう少し待たなければならない。 広い稜線は展望もよく、散歩道のように快適に歩くことが出来る。山頂を間近にして降りてくる人に会った。「こんにちは、暑いですね」「半袖が似合いますね」と軽い挨拶を交わす。ほとんど人に会うことが無かったため嬉しいものである。
頂上は以前と同じように私を迎えてくれた。そして、長い間踏むことが出来なかったこの山を十分味わっている。
バーター作り
2014.2.11.
バターはどのように出来たのだろうか。ラクダやロバの背に乗せられた牛乳は揺られながら旅をする。いつの間にか水分と脂肪分に分離し、脂肪は寄り集まり固まっている。これがあの美味しいバターの基(無塩バター)になり、塩分を加えるできあがる。と、想像してみる。
寒くなると毎年のように薫製作りをする。ほぼ一日煙の番をしながらすごす。その時を利用してバター作りも楽しんでしまう。準備はKさんが全てしてくれる。此処にはラクダやロバがいないので私たちがその代わりをして旅に出る。
手順を紹介してみよう・・・
(乳牛農家Kさんが指導する)
バターは牛乳から作るのだが、通常の乳牛(生乳)からでは沢山は採れない。そこで、お産をした牛の初乳(数日たったものでも良い)を利用する。子牛の分を横取りするわけだ。まず、牛乳をバケツなどに入れ一晩置く。牛乳の脂肪分が分離し上部に浮いたクリームと言われる部分をすくい取る。すぐ使わない場合はペットボトルなどに入れ冷凍保存をしておく。
500㎖のペットボトルに3分の1ほど入れ小分けして利用する。沢山入れると中々出来なくて大変な思いをしたこともある。時間がかかる訳だがただひたすら降り続ける。暫くするとペットボトルにくっついたようになって中のクリームが動かなくなる。そこから、もうひと頑張りしなければならない。振っているうちに突然シャブシャブと水の音が聞こえてきたら出来上がる。脂肪と水分とに分離し、脂肪は互いにくっつき合いうす黄色のバターになっている。水洗いをしたバターをバットの中でなめらかにしながら水分を切る。無塩バターはこの段階でできあがり、有塩バターはこれに塩を足す。
バターが出来上がると手作りパンが待っている。パンとバターがあれば当然ワインが似合う。後日、このバターはケーキやお菓子になったりする。美味しいものには手作りバーターがよく似合う。
と、作った人だけが楽しめるちょっと贅沢な食事はいかがでしょうか。
グラウス山の会のこと
素晴らしき仲間・・・
町田(東京都)を基点にした山岳会(日本勤労者山岳連盟に加入)現在180名を越える会員がいる。その会が創立30周年を迎えた。30年続くことは、会員ひとり一人の持ち味が十分に発揮され、それを会として支えることができ、内にも外にも開かれた山岳会であることが大きい。
山登りは自然を愛で、文学(多くは山を題材にしたもの)を愛し、芸術を生み出し、気象・自然科学に興味をもつなど幅広く楽しむことが出来る。もちろんスポーツとしても充実している。その素晴らしさをグラウス山の会で学ぶことが出来たことは人生の最大の収穫である。また、山登りとは、人との出会いや繋がりを楽しむことでもある。山小屋で出会ったことが一生の友達になったり、山行を共にしたものは、後々まで共通の思い出として心に残る。
久しぶりに仲間と会った。面識のある会員は少なくなっても暖かく迎えてくれる。今もこの会に所属しているように楽しい会話が弾む。そんな、優しさで私を包み込んでくれる。それがグラウス山の会の寛容さである。退会しても、尚仲間である。
富士山
2013.10.14.
御殿場ルート・・・
夏の賑わいは去り、静かな時が過ごせるこの季節は、自分の足に任せて気ままに登ることが出来る。登山道はほぼ頂上まで見えるが人は誰もいない。砂礫を踏みしめるサクッサクッという音と、時折吹いてくる風の音だけが聞こえ、足の運びに合わせて呼吸の微かな響きが体を支配する。
標高差2225mを登る。改めて標高差を見ると登れるのだろうかと心配になってくる。このコースはほとんど木が生えていない。富士アザミと低木が少しありすでに冬枯れしている。広い登山道は真っ直ぐ高みに登っていく。
ジグザグに付けられた登山道に入ると足の運びが急に楽になり心の余裕も生まれてきた。一つ目の小屋にまもなく到着する。すでに小屋は閉まっているが模型の参考になるところを写真に収めることが出来てた。
山頂も近づいた頃、後から来た若い人に追い越された。ちょっと立ち話をし、頂上が見えたら手を振ってねと別れた。離れていく彼をちょっとだけうらやましく思った。まもなく視界から消えていく姿を見守って、私も同じ道をゆっくり登っていく。彼が消えた当たりまで行くと、はなれた岩の影から大きく手を振っている姿が見えた。
記 登り7時間30分 下り2時間ほどかかった。
上越の山々・白毛門/笠ヶ岳
2013.9.21.
犬との出会い・・・
この川の側に家があり長いロープが張られていた。犬の首輪にもクサリが付いている。そのクサリは張られたロープを滑るように行き来する。犬の行動範囲が広がる。私たちが山の行き帰りに通ると、ガラガラとロープを引きずりやってきた。雪が降りしきる時も体中雪だらけになりなが同じようにやってきた。今はその家すら見当たらない。
尾根道・・・
覚悟はしていても急な尾根を真っ直ぐ登っていくのはかなり辛い。木の根を乗り越えるとき、岩をよけながら体を引き上げるとき、次が平らになっていてほしいと望みながら足を上げる。
汗をかいたとき、大きな木や岩に触ると冷たく感じる。私の熱さをほんの少しだけ持って行ってくれる。
樹林・・・
此処はまだ大きな木の支配下だ。木の間越しに乾いた谷川岳が見渡せ、他の山と全く違った要望をし、私たちを見下ろしている。
大きなブナの木が覆い被さるように登山道の脇に立っている。細い枝の先にも、殻に包まれた実がなっている。まもなく動物の貴重な餌になるのだろうか。
輝き・・・
沢山の笹が日に輝く姿を見たのは蓬峠への下りだった。周りの暗さの中に夕方の光が笹の一枚一枚を浮き立たせるようにあたり、一面キラキラと光っていた。
今は明るい陽の光を通して透けるように緑の葉脈が美しく見える。この笹を折り小さな舟を作り水に浮かべて遊んだ子供時代をふっと思い出す。ゆらゆら揺れながら小川を下っていく笹舟も陽にキラキラと輝いていたような気がする。
山頂・・・
山を眺めながら、お弁当を広げて ゆっくり休む人、次の目的地に急ぐ人、私たちのようにもう少し行こうか迷っている人、それぞれの思いを抱いて、この山頂にいる。
最初に来たのは冬山を始めたばかりの頃で、ワカンを付けて猛烈にラッセルをした。汗をかき疲れ果てて山頂へ着いたとき、谷川岳の姿に胸をワクワクさせられた。それ以来、冬の初めはよく此処に通った。踏み跡がないことを願い、新雪に自分たちの道を付けるべくラッセルに汗を流した。
何時もたっぷりと雪をまとい、これから冬山のシーズンがが始まるぞ、と告げているような優しさと厳しさを味わうことが出来た。
山の頂を、過ぎ去る景色を、小さな草花を、そして秋の恵みを楽しみたい。登るにつれてに秋が深まっていく、今はちょうどそんな季節の変わり目を楽しんでいる。
ユスラウメ
2013.6.5.
ユスラウメ、漢字で書くと『山桜桃』となる。桜を小さくしたような花が咲き、サクランボ(桜桃)を小さくしたような実がなる。我が家にユスラウメが来てから20年くらいになるだろうか。最盛期には写真のように鈴なりで今年の数倍は収穫があった。
今日はユスラウメのジャムを作る。種を抜き、500gほどをホーローの鍋に入れる。煮ていくと水分が出てくる。半分ほどになったところで砂糖を20%ほど加える。この頃になると部屋中甘酸っぱい香りが漂ってくる。程よく煮詰まったところで小さなビンに入れる。窓辺に置いたりしながら色合いを楽しむ。グラスに入ったほうは今日の試食用に少しずつ食べる。赤く染まった酸味の強い味はジャムの女王様といえるだろう。
また今日から1年間かけて育てる。いや、放っておくのだが来年も女王様に逢えますように。
雀
2013.5.21.
玄関ポーチにスズメが今年もやってきた。昨年巣立ったスズメであるはずがないのだが、その場所を知っているように巣を作っている。庭に出て行くとオリーブの木陰に隠れ 、人がいなくなるのを待っているようだ。暫くすると「チチ チチ」と小さな名鳴き声が聞こえてくる。ドアの陰に隠れて様子を覗う。 何羽いるのかなかなか分からない。 時折、「チチチ チチチ」と、鳴き声が大きくなる。口に含んだ餌を口移しで与える。一斉に口を大きく開け待っている姿は滑稽でもある。親鳥は交互に行ったり来たりし 忙しく餌を運んで来る。少しの間、私たちも遠慮がちに出入りをしている。
いつの間にか鳴き声も聞こえなくなり元通りの静けさがやってきた。毎年こうして巣立つ姿を見る(本当は見ていないときなのだが)のを楽しみにしている。そして、散歩の途中スズメを見かけると「あれはうちのスズメかしら」と思ってしまう。
編笠山
2013.4.28.
前日の観音平駐車場は10台ほど車が止まっていた。丘のようになだらかな編笠山は山頂に少しだけ雪をいただき夕日を浴びている。谷を隔てた対岸には甲斐駒ヶ岳・北岳などが最後の残照をあび心惹かれる姿を見せている。昨年は徳本峠を越えたが、今年は編笠山に登る。編み笠とはうまい名である。煮ているものにお椀を伏せたようなとか、飯を持ったような、などと形容されるが、それよりいくらか傾斜が緩やかな気がする。八ヶ岳の西端に位置し、なだらかな裾野を開いている。 雪は少ないが展望のよい山だ。
朝日を浴びた北岳と甲斐駒ヶ岳、少しずつ他の山へ広がり、やがて編笠山へも伝わってきた。新緑にはまだ早いのだが、膨らみ始めた唐松の芽は今にも開きそうなぐらい大きくうっすら緑色が見えている。木々の上部に日が当たり火を灯したように輝き始めた。日が登るにつれ暖かさを取り戻してきたが、高度が上がると季節が戻って行く。最初の雪が現れると、後は少しずつ雪道になってきた。適度に締まった春山の雪道は歩きやすく真っ直ぐ高度を稼ぐ。最後の急登を終えると山頂が待っていた。
山頂は風が強くそこに止まることを許してくれない。少しくぼんだ所で風をよける。風の合間を見て、間近に南アルプスの高峰を堪能する。
・・・・30年前、草滑りから北岳を目指して登ったときの記憶がよみがえってくる。5月1日北岳山頂は二人だけで独占していた。・・・・
振り向くと八ヶ岳の山々が目の前に迫り、ここから先、権現岳へ登って行きたいような気持ちにさせられる。十分展望を楽しみ青年小屋へ降りる。複雑な道が雪で埋まっているため非常に歩きやすい。青年小屋を後にし雪の槇道をゆっくり降りていく。
春山はこれからも私たちを楽しませてくれるこどだろう。
追記:雪山から遠ざかっていたため装備が不十分だ。この時期でも行くことができる場所に大きな制約がある。「あと5〜6年は雪山に登っていたい」と思うようになってきた。◀galleries Eventへ
ブルーベリージャム
2013.4.21.
最後(2012年度産)のブルベリーを冷凍庫から取り出す。煮ているときの甘酸っぱい匂いは部屋中に広がり、それに誘われてみんなが集る。出来たてをヨーグルトにのせ 軽く混ぜると白に紫色の渦ができる。一口すくい口の中に入れる。 甘みと酸味がゆっくり広がっていく。
毎年夏になると近所の農園にブルベリーを狩りに行く。暑さと戦いながら一粒づつ取る。そのまま食べてももちろん美味しいのだが、たくさん取ったときは冷凍保存し小分けしたものを時々こうしてジャムにする。その甘みと酸味に夏の暑さを思い出し心ゆくまで楽しもう。
燻製の季節
燻製の代表はやはりベーコン・・・
9時に会場『Kさん宅・乳牛農家』へ着いた。すでに早く来た人たちで、燻製箱は組み立てが終わっていた。燻製箱とは底はコンパネほどの大きさがあり、高さが900mmで本当にコンパネで出来ている。ふたは薄めの合板を2枚乗せたものである。
1週間前、今日のために肉を下準備をする。毎年行っているのだが『燻製の本とメモノート』は必要である。昨年までの経験を軸に今年の香辛料などの重さを量る。全てを混ぜ、肉にすり込んでいく。1週間寝かせて仕込みは終わる。今日は、おまけが付きでバター作りが待っていた。バター作りは別な機会に書くことにするが、出来たバターをこちらのおばあちゃんが焼いてくれたパンにたっぷり付けて食べる。もちろんKさん宅の牛乳付きは言うまでもない。1週間後を楽しみに、各自、出来たバターを持って帰った。
さて燻製に戻ろう。すでに火は入り、ベーコン用肉の乾燥をする。香辛料につけ込んだ肉はKさんが塩出しをしておいてくれたものだ。1時間半くらいで乾燥も終わり、各自それ以外のものを、どんどん箱の中に並べられる。ロースハム・ゆで卵・ゆでエビ・ホタテ・たこ・ビーフジャーキーそしてタクアン等々である。タクアンは、秋田の燻りがっこが有名だが負けないぐらい美味しくなるはずだ。
これからは温度を下げ『桜の木』が投入される。この木の煙で燻製が始まる。ふたをし数時間待つことになる。朝から火の番を黙々とこなしている若いk君、ご苦労様。他のものは、ほどよく酒が入り饒舌になり笑いも絶えない。今回初めて参加したお父さん(娘さんの親)は子供の面倒を見るのがとてもうまい。植物でエンゼルフィッシュ・キリン・お面など作ってしまう。子供たちに人気がある。我々は、よくしゃべり、よく食べ、そしてよく飲むことが、好きな仕事のように楽しんでいる。時々箱の中をのぞき見するが煙でよく見えないのも期待がふくらみ、また楽しい。
燻製は作ることも楽しいが、この待っている間、ここを流れているゆったりした時間が一番いい。人間がもつ本来のゆとりと、仲間と楽しむかけがえのない時を十分味わった頃、燻製もそろそろ出来上がったようだ。
富士山に登る
7月の〇〇日、いつものように二人で富士山に登ってきました。滝沢林道の終点(4合目付近)からの往復です。かなり長い道のりなので覚悟していきましたが、やはり大変でした。
6合目までくるとスバルラインからの登山道が合流してきます。今日は夏休み前なので登山者も少なく静かな山登りが楽しめそうです。その中で外国の方が多いのには驚きました。やはり日本を思うとき富士山が頭に浮かぶのでしょうか。登山道は上り下りと別々についています。登りはジグザクが多く山小屋も沢山あります。最近2回ほど頂上まで行けませんでしたが、今日は大丈夫でしょうか。7合目の小屋(7合目と名を付けた小屋はたくさんあります)の前は休憩する登山者で賑わっています。金剛杖に焼き印を押す外国の人は記念に持って帰るのでしょう。
8合目の小屋を過ぎかなり上に鳥居が見えています。だんだん疲労もたまり休む回数が多くなるのか前後の間隔が狭まって大変混み合ってきました。見えていた鳥居が9合目と思っていましたが、そこは頂上の小屋に囲まれた一角でした。ここは大勢の登山者が休憩しています。風が強く記念撮影も大変です。今回はお鉢周りは中止し小休止の後下山道を駆け下りました。
島々から徳本峠
2012.4.30.〜
4月30日私たちは(私とうっちゃん)早朝松本へ車を走らせた。連休だがそれほど混雑はしていない。高山方面へ道をそれ、まもなく新島々の駅、すぐ島々へとつづく。島々の駐車場は林道を数分入ったところにある。入り口は桜が咲き始めていた。
長い林道歩きもけっこう楽しい。いつだったか本で読んだ猿に出会い、道には多数のカエルが出迎えてくれる。二叉からは山道となり川の右岸左岸と渡りながら高度を上げていく。道々、春の楽しみ山菜を採りなが更にに登っていく。岩魚止め小屋は少し荒れているがシンボルツリーは見事にに大きい。一枚の写真に収まりきれない。
この小屋を境に沢筋には残雪が現れてきた。まもなく雪の上を歩くことになる。デブリを乗り越え、登る沢を一度変えると上まで続く雪の世界だ。ひたすら登り続ける。傾斜はかなりきつく滑落すると下まで行ってしましそうだ。慎重にキックを繰り返し数時間登り詰める。夏道は左右行ったり来たりしているようだがはっきりしない。上の方から燃料の燃えるにおいがし、小屋が近いことを気づかせてくれる。まだ傾斜は急だがほんの少し登れば終わる。小屋の一部が見え雪下ろしをしている人が声をかけてくれる。疲れたせいかそこからがかなり長かった。
峠には数人の登山者や先ほど雪下ろしをしていた人たちと挨拶を交わす。峠の反対側には奥穂高・前穂高が姿を現していた。長い道のりを歩いたからこそ味わえる景色だ。昔、上高地へ入る唯一の道は、先人たちの足跡がどこかに残っているような気がする。この峠を越えるなら、島々から歩くことにこだわってみたいものである。