模型 民家と山小屋 MODELS HOUSE & MOUNTAIN HUT

雲のゆくへ

 笹の上に寝転んで空を見上げると、雲は形を変えながら西から東へゆっくり流れていく。同じ場所までくると突然大きくなり、そこを過ぎると元のように小さな塊になってしまう。しかし、その場所もいつしか移り、頼りないくらいぼんやりした小さな雲のかけらが漂っているだけになってしまう。

トンネル

小さかったトンネル

2017.1.28.

 私の住んでいた村にはトロッコ電車が走る小さな線路が一本通っていた。街まで1時間ぐらいかかったのだろうか。子供だった私には時間の感覚が定かではない。高台にあった駅舎は炭鉱の事務所も兼ねていた。私たちは石炭を運ぶ合間に乗せてもらっている。
 さて、その駅舎を出て間もなくトンネルに入る。真っ暗な小さなトンネルはいつまでも続いているような気がしていた。ある時、トンネルのそばでトロッコ電車が来るのを見たくて待っていた。遠い電車の音を早く聞くためにレールに耳をつけて静かにしている。小さくゴーッという音がレールに伝わって聞こえて来る。しばらくするとトンネルの奥の方に微かに明かりが見えてきた。ワクワクしながら、線路から離れて待っている私たちのよこを、電車はゴーッと通り過ぎていった。

石造りのトンネル

 中央線の梁川と鳥沢の中間に今では珍しい石造が残るトンネルがある。国道20号線(甲州街道)はそれと並行して走っている。通るたびに気になっていたのだが、なかなか写真を撮る機会がなかった。運が良ければトンネルから電車が出て来るのが見られる。昔と同じようにそんな時はワクワクしながら待っている。

ウェブサイトがレスポンシブWebデザインに

スマートホンでスクロールしなくても見えるようになりました。(スマホ/タブレット用レイアウトを追加)

2016.10.18.

 やっとできました。長い間作りたかったのですが、ハードルがかなり高かく手が出せませんでした。しかし、ある本を読んでいくうちにできるのではないかと思えるようになり、基本的なレイアウトを作りそれに手を加えて行きます。しかし、パソコンではうまく表示するのですがスマホではダメだったりと、なん度もやり直していくのが現実でなかなか進みませんでした。mediaqrieを利用しパソコン・タブレット・それにスマホ用に振り分けてレイアウトを作成しています。パソコン用はブラウザによるレイアウトの違いを出来る限りなくするようにしました。
 これで、スマートホン用にレイアウトができ、今まで以上に読みやすく(見やすく)なったと思います。

 パソコンの方は試しに、ブラウザの表示サイズを変えて見てください。現在の表示ページが3段・2段・1段と変わっていくはずです。

 お気付きの点がありましたらお知らせ下さい。

天狗岳 八ヶ岳

霧の中に天狗を見た?

2015.10.17.

 風の強い稜線付近に、石を乗せた山小屋・根石山荘の姿に心を惹かれ取材を兼ねて天狗岳に登った。小屋は後ろから見ることができない場所に建っている。それを解決してくれるであろう西天狗岳からの展望に期待して歩き始めた。

 唐沢鉱泉を出たのは日の出1時間前くらいだろうか。鳥の声すらまだ聞こえてこない静かな山は暗くランプの明かりだけを頼りに歩き始める。暗い中を歩いていると、心のどこかで獣(熊)のことを気にしている自分がいる。ちょっと咳払いをしたり、独り言を言ったりしてみる。もちろんそんな気配はない。空が明るくなって、心も解放された気分になる。静かな登山道は山腹を這うようにジグザグにつけられ一気に稜線まで登ってきた。やっと日の出に間に合ったが、それと同時に北側から霧が押し寄せてきた。稜線上の道は第一展望台・第二展望台と行くのだが、茅野側が少し見え隠れするだけで、あとは乳白色の世界を楽しんで歩いていく。負け惜しみとは言わないが山はこれでも楽しい。霧の間から普段見ることができない景色が現れることを期待しながら歩く。第2展望台を過ぎた頃、やっと東天狗岳が見えてきた。天狗の由来は知らなかったが、シルエットの中に天狗を見てしまった。(galleries内 -天狗岳・八ヶ岳- を参照)天狗岳の由来など考えながら歩いていたから見えるのかもしれない。鼻の長さは少し足りないようだが、その時の私には天狗の横顔に見えた。少し上を仰ぎ何か言いたげな口元をしている。孤独な姿がモノクロームの世界から浮かび上がり想像力をかきたてられる。山頂直下の天狗が見えたあたりでコケモモを少しだけいただいた。
 今日の目的の東天狗岳の展望は、風とともにやってくる霧が舞台の幕のように下がり残念ながら根石岳山荘は微かにしか見えなかった。しばらく止まっていたが寒さに震えてしまった。前方が見えないまま降り、また登り返す。いつもなら大勢の人で賑わっているはずの山頂には誰もいなかった。ときどき振り返ると霧の中に太陽が見え稜線がシルエットになって浮かび上がる。霧の中に浮かぶ岩が何かに見えるのかもしれない。

天狗岳の由来は
 『東天狗岳は名の由来となったように赤い岩肌をむきだしにした岩峰で赤天狗と呼ばれ、西の峰は頂上までハイマツがある女性的な山で青天狗と呼ばれる。』 ・・・・ウェブサイト/信濃毎日新聞/信州山岳ガイドより・・・・・

キノコ狩り

2015.9.26.

 午後になって急に思い立ち3人で近くの山へ出かける。2年ほど前に登ったとき、大きなキノコ(コウタケ)を知らずに蹴ってしまった。帰ってきてそれはコウタケだよと教えられ残念でならなかった。
 今回はそのキノコを目指して行くことにする。2時間の登りで頂上に着くのだが、あちこち見回りながら登って行く。山肌は獣の通った跡が沢山付いているが猪と鹿ではないだろうか。時々歩きやすい獣道を通り小さな尾根を越えながら登って行く。稜線に出る頃には、袋の中身は山栗で少しだけ膨らんでいた。
 目的のキノコは頂上の少し手前の稜線から外れた所にあった。側を通るとキノコの匂いが漂ってくる。辺りを見回すと大きな姿が沢山目に入り、採ってくださいと言っているようにさえ見える。私たちは、ナイフを使い丁寧に取り持参した袋に入れる。たちまち袋はいっぱいになり今日の目的は達成したのだ。急いで山を下りないと暗くなってしまう。夕方が迫り、追われるように山を下る時は、山登りの充実感と、収穫があったことの満足感で自然に足が速くなってしまう。
 キノコや栗で帰宅してからも再び秋の山を楽しむ事が出来た。

2015.8.9.

 車で20分ほど走ると私の大切な場所がある。車を降り10分ほどでその川に降り立つ事が出来る。この辺りの川はキャンプ場が沢山出来大勢の人が押し寄せるが、ここではほとんど人と会うことはない。川の流れる音と方々で鳴くセミの声が聞こえるだけだ。私は、時折ひとりでここに来る。
 河原に腰を下ろし釣りの準備をする。ここで釣れる魚は、ハヤ・ヤマメ・ニジマスその他鮎とドジョウやカジカも生息している。はやる気持ちを落ち着ける様に河原に腰を下ろしゆっくり釣りの準備をする。水の中に立ち竿を振る。2時間ほど川を移動しながら楽しむ。今日はヤマメが一匹釣れただけでお終いにした。

 河原に荷物を置き、暑い石に腰を下ろす。足は水に浸かっているのだが、暑さにたまりかねて思い切って水に飛び込む。そこは2~3メートルくらいの水深があり潜ると気持ちが良い。以前は、流れに沢山の魚が上流に向かって泳いでいたが、この頃は少なくなってしまった。子供に返ったように夢中で泳いだ。水中から見る河原には所々に月見草が咲き、その向こうに青空がまぶしい。
 ぬれた体を乾かしながら、コンロに火を付ける。コンロの燃える音、湯が沸きコーヒーの香りに包まれて一時を過ごす。暑いコーヒーは冷えた体に染み渡っていくようだ。陽が西に傾き、少し赤みの架かった夏の夕暮れがもうすぐやってくる。

懐かしい雲取山

2014.4.17.

30数年ぶりの雲取山

 登りたくても登っていない山、再び登ろうと思っても実現できなかった山がある。毎年、今年は登ろうと思いながらずいぶん長い年月がたった。

山登りを始めたばかりの頃

 正月の三条の湯は多くの登山者で賑わっていた。このときも泊まり合わせた人たちと山の話を楽しんだ。そんな中で知り合うのは簡単なようだが、実際にはその場かぎりで終わってしまうのが常だ。山登りを始めた頃ひとりで登るのは心細いものだった。何か支えになってくれる人を求めていたのかもしてない。夕方になりそんな気持ちを察してか、私に話しかけてくれた人がいた。一緒に夕食を作り山の話などをし、明日一緒に山頂を踏むことを約束した。
 今は山頂の景色も忘れてしまったが、道すがら山の話と生き方について学んだ様な気がする。頼もしい存在だった。

年賀状

 最初の頃は「どこかで会いたいですね」と書いていたのだが、かなうことは無くすでに40年近く過ぎ去ってしまった。一年の代表的な出来事をモチーフに年賀状にしたためる。何時しか、それが楽しみなっていった。毎年、年末になるとこの一年を考えながら年賀状を書く。心では来年こそ、この思い出ぶかい山へ登ろうと思いながら。
 その時以来の付き合いである。

歩きながら

 山腹を巻くように付けられた山道を淡々と歩く。三つ葉ツツジがちょうど見頃になり暗い森に彩りを添える。今は使われなくなった廃屋と山腹の畑に、人々の暮らしを想像してみる。集落から離れた山の中、此処の生活はどのようなものだったのだろう。
 下の方に集落が時々見えてくる。数軒寄り添うように建つ家は、今も昔もそれ程変わっていないような気がする。この山道も仕事の道の一つだったのかも知れない。

七ツ石小屋

 七ツ石方面への分岐から10分足らずで小屋に着いた。こぢんまりとして昔の山小屋を感じさせどこか懐かしい。入り口を通り越し広場に出ると遠くに富士山が見える。 (このときは見えなかった)
 小屋に入ると薪ストーブが中心にあり、それを囲むように腰掛けが用意され、沢山の人が座れるようにとの心遣いがなされている。右は調理が出来る様にコンロと流しが付き、左奥は寝る場所になっていた。
 このとき管理をしていた人は登山者のひとりで、今日は管理人(若い人)と交代する。山小屋の事を話しながらカプチーノをご馳走になる。温かさと甘さが嬉しく、山の一夜をこんな所で過ごしてみたいなと思った。山小屋の良さは、小屋の歴史とそこに集う人の優しさなのかも知れない。

山頂へ

 七ツ石から雲取山の稜線はまだ春が来ていない。唐松の新緑はもう少し待たなければならない。 広い稜線は展望もよく、散歩道のように快適に歩くことが出来る。山頂を間近にして降りてくる人に会った。「こんにちは、暑いですね」「半袖が似合いますね」と軽い挨拶を交わす。ほとんど人に会うことが無かったため嬉しいものである。
 頂上は以前と同じように私を迎えてくれた。そして、長い間踏むことが出来なかったこの山を十分味わっている。

バーター作り

2014.2.11.

 バターはどのように出来たのだろうか。ラクダやロバの背に乗せられた牛乳は揺られながら旅をする。いつの間にか水分と脂肪分に分離し、脂肪は寄り集まり固まっている。これがあの美味しいバターの基(無塩バター)になり、塩分を加えるできあがる。と、想像してみる。

 寒くなると毎年のように薫製作りをする。ほぼ一日煙の番をしながらすごす。その時を利用してバター作りも楽しんでしまう。準備はKさんが全てしてくれる。此処にはラクダやロバがいないので私たちがその代わりをして旅に出る。

手順を紹介してみよう。

(乳牛農家Kさんが指導する)
 バターは牛乳から作るのだが、通常の乳牛(生乳)からでは沢山は採れない。そこで、お産をした牛の初乳(数日たったものでも良い)を利用する。子牛の分を横取りするわけだ。まず、牛乳をバケツなどに入れ一晩置く。牛乳の脂肪分が分離し上部に浮いたクリームと言われる部分をすくい取る。すぐ使わない場合はペットボトルなどに入れ冷凍保存をしておく。
 500㎖のペットボトルに3分の1ほど入れ小分けして利用する。沢山入れると中々出来なくて大変な思いをしたこともある。時間がかかる訳だが、ただひたすら降り続ける。暫くするとペットボトルにくっついたようになって中のクリームが動かなくなる。そこから、もうひと頑張りしなければならない。振っているうちに突然シャブシャブと水の音が聞こえてきたら出来上がる。脂肪と水分とに分離し、脂肪は互いにくっつき合いうす黄色のバターになっている。水洗いをしたバターをバットの中でなめらかにしながら水分を切る。無塩バターはこの段階でできあがり、有塩バターはこれに塩を足す。

 バターが出来上がると手作りパンが待っている。パンとバターがあれば当然ワインが似合う。後日、このバターはケーキやお菓子になったりする。美味しいものには手作りバーターがよく似合う。
 と、作った人だけが楽しめるちょっと贅沢な食事はいかがでしょうか。

大雪

2014.2.8./14.

 関東に記録的な雪が降った。降り始め30㎝の定規を用意し立てて置いた。暫くすると残りがわずかになってくる。長さが60㎝のものと交換するが、これも残るところ10㎝ほどになり、上に足そうか心配になる。夜半、52,5㎝でやっと止まった。

雪の我が家

 翌日、息子を付き合わせ近くの山に登る。山道に入り最初の足跡を付けながら登る。雪はやみ、陽の光が山の陰から現れ、梢に付いた雪を輝かせている。時折枝の間から粉雪のように辺りを白くしながら落ちてくる。溶け始めた雪は滴となり枝先を輝かせている。私は何時のように写真を撮りながら息子の後からゆっくり付いていく。先頭は、軽いラッセルをし汗を流している。時折胸近くまである吹きだまりを突っ切っていく。山頂の少し手前には東屋があり、ちょうど良い休憩場所になっている。この辺りから雪が多くなってきた。尾根に出ると展望も開けた。雪の山頂は、下に湖と対岸には丹沢の山々がよりいっそう雪山らしく連なっている。こんな小さな山でも雪山らしく輝き、最初の一歩を私たちに許してくれた。

山頂

 1週間後、再び大雪に見舞われた。前回より多い積雪量は90㎝を越えた。北海道育ち(道東)の私でもこんなに降ったのはあまり経験が無い。車は雪に埋もれ見えなくなってしまう。道も2日ほど除雪がされず歩くしかなかった。2~3日すると情報が入りはじめ孤立した地域が多数あるそうだ。もしかしたら私の所も孤立したのかも知れない。
 晴れ上がると雪の白さが青空に映えよりいっそう白く見える。自宅にいながら、雪山を味わっている。........................................
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グラウス山の会のこと

素晴らしき仲間

 町田(東京都)を基点にした山岳会(日本勤労者山岳連盟に加入)現在180名を越える会員がいる。その会が創立30周年を迎えた。30年続くことは、会員ひとり一人の持ち味が十分に発揮され、それを会として支えることができ、内にも外にも開かれた山岳会であることが大きい。

道標

 山登りは自然を愛で、文学(多くは山を題材にしたもの)を愛し、芸術を生み出し、気象・自然科学に興味をもつなど幅広く楽しむことが出来る。もちろんスポーツとしても充実している。その素晴らしさをグラウス山の会で学ぶことが出来たことは人生の最大の収穫である。また、山登りとは、人との出会いや繋がりを楽しむことでもある。山小屋で出会ったことが一生の友達になったり、山行を共にしたものは、後々まで共通の思い出として心に残る。

 久しぶりに仲間と会った。面識のある会員は少なくなっても暖かく迎えてくれる。今もこの会に所属しているように楽しい会話が弾む。そんな、優しさで私を包み込んでくれる。それがグラウス山の会の寛容さである。退会しても、尚仲間である。